宇和島伊達400年祭

3/29宇和島伊達400年祭オープニングセレモニーが華々しく開催。姉妹都市「大崎市」から借用した甲冑を身に付けた伊達五十七騎、大洲鉄砲隊、牛鬼、太鼓集団、宮本真希演じるお姫様、腰元等が宇和島の街を練り歩く。

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【写真は伊達五十七騎の一人水沢民部の甲冑を身に付けた歴ドル美甘子ちゃん。】

今年一年、宇和島の街は伊達400年祭に染まる。しかし、今年は宇和島・鬼北・松野が共同主催となる『第二回清良記シンポジウム』が鬼北町で予定されていると聞く。清良記を紐解く会としては、否が応でも戦国時代の宇和島や鬼北の動向に胸が熱くなる。とはいえ、清良記が書き上げられたのは江戸期に入って四十年の承応二年である。宇和島では藩主は秀宗から宗利への代替わり、和霊神社の創建、吉田藩の分藩問題等が起きて行く。秀宗の中風、執権を代行していた宗時の早生、後継となった宗利には後継者がいなかった事から伊吹八幡宮に卜占を頼み、得た御神託が和霊神社の創建であった。伊吹八幡宮の社名の所縁となった伊吹の双樹は、三間の武将土居清良の先祖鈴木重家が手植えされた物である。また土居清良は宇和郡を土佐長宗我部の侵略から守った戦の勝ち神様であり、戦国時代の武将としては長命の八十四歳まで長生きされた。和霊神社の御祭神山家清兵衛が亡くなった九年後まで生きていたのであるから、宗利も当然その人となりを知っていた筈と思われる。実に不思議な事に、清良神社も和霊神社創建の九年後に創建となる。ここに私は、何かしら非常に深い関係があったのではなかろうかと考えてしまうのである。

ちなみに山家清兵衛没年は元和六年。清良没年は寛永六年、清良神社創建は寛文二年。宗利の生年は寛永十一年。宗利は数え六歳で元服、二十二歳で家督を継ぎ二代藩主となる。

元和元年1615:初代秀宗宇和島入部
元和六年1620:山家清兵衛没
寛永六年1629:土居清良没
承応二年1653:和霊神社創建
寛文二年1662:清良神社創建

文責『清良記を紐解く会』三間史談会々員・松本敏幸(携帯090-1320-1508)

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by kiyoyoshinoiori | 2015-03-31 20:00 | 戦国フェス

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by 清良の菴(きよよしのいおり)さん