清良記を紐解く会『巻六』

【この翌十二月は松浦郁郎先生には『巻七』の特別講義を依頼。その時、四十年前に作ったという貴重な清良記の校訂過程の資料を拝見。先生のご苦労がどれ程大変なものであったかを思い知った参加者でした。その後しばらく懇親の時間を楽しみました。】


□『中村行き』その後②


    先月は高知県四万十市へ『清良記』に著された土居清良公の足跡を訪ねる現地研修を行う事が出来、三間史談会の清良記研究にとって大きなステップとなりました。また『敷地軍記』との出会いで幡多郡で領地した『高島』が現在の竹島と分かり、頼りにした義理の叔父土居近江守家忠(土居宗珊)が、安並、為松、羽生と共に四天王と呼ばれ、土佐一條家初代からの筆頭家老であった事も分かりました。
    土居宗珊が執政官であった一條康政と同一人物では?という疑問については可能性が低くなりましたが、清良記が述べる『土居近江守家忠=房家の弟』という件は今後も研究して参りたいと思います。



□『巻六』を紐解く


    前回は巻五を紐解きました。不破八幡の宵宮祭に石礫が投げ込まれた事件であらぬ嫌疑を掛けられた清良公でしたが、近江守が盾となり、姉お初(北の方)が知恵を付け真犯人を挙げる事に成功。一條公は清良公に謝罪され、清良公の幡多郡での立場が高められる事になりました。
    さて、今回巻六では土居清宗の弟民部少輔清治の三男『善家六郎兵衛』が登場します。善家六郎兵衛は一之森城主深田殿竹林院真清の弟である善家備後の家継となっていましたが、周囲との生き方の違いから幡多郡に落ち延びた清良公の元へ駆け付けます。
    また巻六で注目すべきは、清良公の『帰城』がなされた事です。一條家配下における数々の謀反を鎮めて来た清良公でしたが、今回は和食九郎兵衛を討ち取った事への褒美もあり、百五十貫で本国土居に帰るか二百五十貫で幡多郡に留まるかの選択を任せられます。しかし百五十貫の領地は、宮下、石原、末森の三村で、故郷に錦を飾る事にはならず侍衆の生活もどうなるかと心配する清良公でしたが、『百五十貫が二貫であっても帰りましょう』と侍衆は心を一つにするのでした。清良公一行は永禄五年七月十日に中村を発ち、十日は若藤、十一日は川崎に泊まり、十二日の朝に須山を越えて三間の『大森城』に帰城されました。
    また帰城後は『土居似水』も清良公の元へと馳せ参じます。土居似水は清宗の末の弟で民部少輔重信といい西園寺真光の御雇となっていましたが、土居一族自刃の後は出家して『似水』と名乗っていました。こうして清良公は暫しの平和の中に領民を大切にする国造りをされて行くのですが、土居似水の生き方にしても善家六郎兵衛の生き方にしても清良公の侍衆の生き方にしても、一つ一つが同様に教訓を与える為の物語である事がよく分かります。



□次回の予定


    次回は『巻七』となりますが、いよいよ『親民鑑月集』となりますので松浦郁郎先生に特別に解説をお願いしています。また12月は年末ですので参加者を中心に忘年会を企画したいと思います。そこで次回の『清良記を紐解く会』は開始時間を(17:30〜19:30)、忘年会を焼肉闘牛にて(19:30〜21:30)で行いますので是非お間違いなく、ご参加よろしくお願いします。予定日『12月        日(    )』








平成25年11月26日(火)『清良記を紐解く会』座長:松本敏幸(連絡先:090-1320-1508)

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by kiyoyoshinoiori | 2015-04-08 14:00 | 郷土史

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by 清良の菴(きよよしのいおり)さん