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奉祝建国記念の日宇和島地区大会


2016年は皇紀2676年。2月11日は、宇和島市役所2F大ホールで行われた『奉祝建国記念の日宇和島地区大会』の司会をして参りました。初代神武天皇が橿原宮をお建てになり、天皇の位に即位した日を、日本書記は「辛酉年春正月庚辰朔」と記しています。この日を紀元として定めた暦法が【神武天皇即位紀元】であり【紀元節】と言われます。「春正月」という事で、もとは元旦でしたが、なぜ「2月11日」になったのかという事が問題です。それは、明治5年にグレゴリオ暦の採用が決まり、明治6に改暦が行われた事によります。明治政府は旧暦の祝祭日を新暦に当てはめて固定する方法を取りますが、明治6年は旧正月の「1月29日」が【紀元節】となりました。ところが、翌日に先帝孝明天皇の命日が続くという不都合が生じてしまったのです。そこで、神武天皇が即位された「辛酉年春正月」を新暦に当てはめて計算しなおし、明治7年からは「2月11日」が【紀元節】として採用される事となったのでした。

ところが【紀元節】は、GHQの意向により昭和23年に廃止となります。主権が回復された昭和27年から「国民の祝日」として復活運動が行われるようになりますが、昭和42年に【建国記念の日】として復活するまで19年を要しています。4月29日の【天長節】は「天皇陛下の誕生日」、11月3日の【明治節】は「文化の日」とスムーズでしたが、【紀元節】は神話に由来していた為、野党第一党であった社会党からの強い反対があったのでした。事態が動いたのは佐藤内閣の時、「建国記念日」に「の」を入れた「建国記念の日」にするという事で社会党が納得。昭和41年6月に【建国記念の日】が国民の祝日に制定されますが、日にちは「政令によって定めた日」とされ、有識者10名による【建国記念日審議会】が招集されます。各党からは案が提出され、自民党は「2月11日」、社会党は「5月3日」でした。国民に対しても1万人の成人男女を対象にアンケートが行われましたが、47%が「2月11日」を支持。17%が「分らない」、12%が「5月3日」という結果でした。それも考慮され、審議会では7名が「2月11日」を支持。第1回目の昭和42年は奇しくも「明治百年」に当たる大慶の年として、全国各地で記念碑の建立や奉祝行事が催される年となっていきました。愛媛県では、知事の久松定武氏と県教育委員長の竹葉秀雄氏が前面に立って県民運動をして下さいました。

そして今年、平成28年は【建国記念の日】が制定されて50年という記念の年でした。そこで、奉祝建国記念の日宇和島地区大会実行委員会では、記念講演に女優でジャーナリストの【葛城奈海氏】をお呼びしました。しかし、葛城氏はただの女性ではありません。真に美しい女性です。予備自衛官であり、予備役ブルーリボンの会広報部会長であり、尖閣諸島問題や拉致被害者救済の為の活動に取り組まれています。それらの活動報告は『チャンネル桜』の【海幸山幸の詩】という番組で紹介されていますが、日本国の為に本当に必要な大切な活動に真摯に取り組まれる姿を拝見できます。葛城氏は、講演をされながら2つのVTRを上映して下さいました。1つは【尖閣諸島】です。国に許可を申請する困難さ、中国の領海と言わんばかりの現実もさる事ながら、人の手が入らない為に漂着するゴミや生態系まで破壊されている事が危ぶまれました。また、もう1つは【拉致被害者救済】の為に作られた再現VTRです。拉致される女性を葛城氏自身が演じておられましたが、「拉致は絶対にゆるされない!」「被害者を一刻も早く救ってほしい!」と強く思わされました。しかし、一向に前に進んで行かない現実があります。それは無気力な政府、つまり『憲法』の問題なのです。GHQの統治下で制定された【日本国憲法】は、本当に「日本国民による、日本国民の為の、日本国の憲法」と呼べるのでしょうか。今のままでは残念ながら「NO!」と言うしかありません。戦前の憲法が良かったとか、今の憲法を廃棄しろという意味ではありません。今の憲法では【尖閣諸島】を守る事も【拉致被害者】を救う事も出来ないという現実があるのです。「真の平和主義」とは何か。国をつくるという事。【憲法改正】の必要性を強く感じさせられました。空しく平和を叫ぶのではなく、「国土を守る」「国民を守る」「国益を守る」という事こそ「真の平和主義」なのだと思わされました。


*以上、松本敏幸©︎


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宇和島市野川/宇和津彦神社にて撮影

by kiyoyoshinoiori | 2016-02-11 22:14 | 建国記念の日

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