清良記を紐解く会 May 2016


□『清涼記』を紐解く会 May 2016

 爽やかな風吹く最高のゴールデンウィークをお過ごしだったことと思います。私は、五月五日に、愛媛県護国神社で行われていた五十回目となる【万葉祭】に参加してきました。この行事は、明治百年になる昭和四十二年に、当時愛媛県教育委員長であった竹葉秀雄先生(三間名誉町民)と、愛媛県の植物学者であった八木繁一先生が中心となり始められた催しで、愛媛県護国神社に祀られた御霊を慰霊する為であったといわれます。

 さて、『清良記』を紐解く会におきましては、今月より四年目に突入となって参ります。三年前の五月二十八日に第一回目が行われ、『土居清良の土佐落ちの道を訪ねる研修』『岡本城址に登って岡本合戦を検証する研修』、また『長宗我部まつり』に参加する等、精力的に事業を進め、新規会員の獲得や後継者の育成にも大いに役割を果たすことができたと思います。

 今後の紐解きは、順調に行けば十月で『巻三十』行い大きな一区切りとなりますが、九月には宇和島市庁舎ロビー展を行い、十月には『三間町産業まつり』での展示を行いたいと思います。その内容のメインは、松浦郁郎先生からお預かりしている『新愛媛新聞(日刊新愛媛の前身となった新聞社)』に掲載された『清良記』の展示です。これは、『清良記』の内容を直に紹介できるばかりか、挿絵に使われた写真や記事が残っていること自体が非常に貴重であるからです。


□『巻二十五』 p.344~p.353

 天正十年三月の記事から始まる『巻二十五』ですが、やはり気になるのは『本能寺の変』であると思います。三四五頁上段を見れば、
 「将軍信長公は明智日向守光秀がために京都本能寺において六月二日の朝、ご切腹なりと告げ来たりければ、秀吉より両川へその旨をありのままに申され、」
 とあります。
 っこで改めて確認しておきたいことは、『清良記』はあくまで軍記物語であり、そこにどのように書いてあったとしても、史実の根拠として捉えてはいけないという事です。例えば、日付に関しては間違っていないけれども、『朝、ご切腹』は、どこからの情報であるのか。また、秀吉は両川に信長の死を伝えたというが、それが史実か否か。これらには疑問があり、結論付けずに研究課題として行くべきでしょう。更に前後の記事を紐解けば、両川は秀吉に一目置いており、清良に秀吉の評価を語らせて、この期を反撃の機会にするのではなく、和睦の機会にするよう勧めるという話になっています。


□『干支』について

 『十干十二支』ともいう『干支』は、六十年で一巡り。これが『還暦』です。『木火土金水』の五行を二つに別けて『甲乙丙丁戊己庚辛壬癸』にしたものが『十干』、『子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥』が『十二支』、その組み合わせが六十通りとなります。


                文責/三間史談会々 松 本 敏 幸



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□愛媛県護国神社『万葉植物苑』に建立された『熟田津之碑』(撮影:2016.5.5)



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□『熟田津之碑』建立:1967年(昭和42年)7月5日。松山市を流れる石手川の自然石を使用。



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□『熟田津の碑の副碑』全国を見ても、これ程立派な副碑を持つ『熟田津之碑』はないといわれる。



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□『愛媛県護国神社』の正式参拝第50回【万葉祭】には県下の人士が集まる。



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□『神道夢想流杖道』の奉納演武が行われる。他にも詩吟の会による献吟などが奉納される。



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□『正岡子規と植物』と題して、正岡子規の令孫にあたる【正岡明氏】が記念講演される。



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□『万葉音頭』作歌:竹葉秀雄 踊り:四国民舞輪の会



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□愛媛県松山市では、若手が育っている。(*´艸`)いいね♪



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□参加者全員で、『万葉音頭』の輪踊りを行う。



写真:愛媛県松山市/愛媛県護国神社第50回【万葉祭】 撮影:松本敏幸©︎




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by kiyoyoshinoiori | 2016-05-07 13:53

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