実は、高森城に登った翌日、迫目にある【迫目城】に登っておりました。迫目城は、土佐の一條兼定が、三間攻めをした時に、陣を張った城として【清良記】に登場します。*\(^o^)/*


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愛媛県宇和島市三間町の迫目地区にある【迫目城】は、『西城』『中城』『下城』からなる三連城。泉が森の北麓に位置し、さながら屏風のように見えます。


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迫目城の中ほどに見える白壁の長屋は、迫目の旧庄屋岡本家。三間河野家の末裔とも言われ、屋根瓦には、【隅切折敷縮三文字】の家紋も見えます。この裏山の頂が『中の城』であろうと思っていましたが、アンテナの立つ頂が【天守】と呼ばれているとの情報を入手しました。


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岡本家の裏山すぐ隣に立つアンテナ。その麓にお住いの赤松家ご主人から、「アンテナの立つ頂を天守(てんす)と呼んでいる」と教えていただきました。


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そのまた隣、元町長をされていた赤松家の横から真っ直ぐに伸びる山道。ここから右が『下城』になります。『下城』は、【清良記】では『鼡(ねずみ)の尾』と呼ばれています。


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山道は堀切のようにも見えます。尾根の手前ひ『中の城』に向かって登る道があり、その先に五輪塔を納めた祠と金毘羅社がお祭りされていました。


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赤い建物が金毘羅社。赤松元町長の息子さんから教えていただき、お参りしてきました。


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反対側に下ると、三間川が流れており、『蜂の巣橋』が架かっています。『蜂の巣』という地名は【清良記】にも登場しており、『鼡の尾』が『下城』である事を特定する決め手どなりました。


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『蜂の巣』から臨む土居清良の本城【大森城】。護岸が整備されるようになるまでは、大雨が降ると、【大森城】と【迫目城】の間は広い沼のようになったと言われます。


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場所は変わりまして、こちらの堀切は、『西城』と『中の城』の間にある山道です。『西城』は、【清良記】では『馬爪』と呼ばれていますが、丸い形の『西城』を馬の蹄に見立てての事なのだろうと思います。


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『西城』の頂は真ん丸くなっており、豊後石で造られたという小さな祠が祭られています。祠は『十二社さま』とも『きゅうねんさん』とも言われ、【迫目城】に家のある麓組の人達は、4月8日にお祭りをしています。『十二社』は熊野系のお社。『きゅうねんさん』は、貴船社の事で、もとは川の近くの山水が湧く場所にあったそうです。


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元々土居清良の廟は、江戸中期まで迫目地区の妙覚寺にあり、土居の先祖が熊野から来た事もあって、迫目地区には熊野権現や大刀自神社も祭られています。【清良記シンポジウム】で、3月19日の「高森城登山」の後には、有志を「岡本城」ど「迫目城」にも案内しますので、奮ってご参加ください。


追伸。お話をお伺いした、岡本様、赤松様、赤松様、二宮様、その節は誠にありがとうございました。


以上、松本敏幸©︎


愛媛県宇和島市三間町/迫目地区の迫目城址にて撮影©︎





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# by kiyoyoshinoiori | 2016-02-28 23:02 | 古城

地元(愛媛県宇和島市三間町)の兼近地区にある、【高森城址】に登って来ました。


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【高森城】は、『清良記』に登場する三間河野家の居城。城主は、中野殿と呼ばれる河野通賢でした。


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昨年、立派な案内板が立てられました。製作したのは【高森城を愛する会】です。


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三角に尖った本郭に、四方には長く伸びた支脈が幾つもあり、三間では最大規模の古城と言われています。


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本郭の周囲には巨大な岩肌が露出しており、白い笠をかぶっているような姿から、【衣笠(きぬかさ)城】の異名も持っています。


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本郭は広く開けており、標高は378mあります。(右奥の土塁が三角点のある頂上。)


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西北西の方角に見えるのは、三間町の二名小学校。その向こうに【岡本城址】と【大森城址】も見えます。


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南南東の方角に見えるのは、鬼北町の沢松地区と深田地区。左に【竹ヶ森城址】と【薄木城址】が並んでいます。


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真北の方角にあるのが、音地、黒川、中間、の告森三地区。右手前に見えるのが【告森城址】です。


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今年、平成28年3月には【第2回清良記シンポジウム】が開催される事になっており、【高森城址】は19日に登山が予定されています。案内人は、三間町大内の武田利康先生です。是非、振るってご参加ください!\(^o^)/


愛媛県宇和島市三間町/兼近地区の高森城址にて撮影©︎


以上、松本敏幸©︎




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# by kiyoyoshinoiori | 2016-02-27 19:19 | 古城

午後からは、鬼北町節安地区(旧日吉村)の薬師堂で行われている【花飛び踊り】の奉納を見に行ってきました。この踊りは、安産祈願として古くから節安地区に伝わる行事です。云われは、その昔、身重の旅の女が産気付いて、村人の介抱を受けましたが、女もお腹の子も助ける事ができず、お薬師さんのお堂のそばに「おたまや」を祭って供養したのだそうです。そうした所、村の女達が皆、安産の霊験をいただくようになったというのです。旅の途中で亡くなった女は、平家の落人のお姫様だったとも言われますが、村人に介抱され供養までしてもらい安心して成仏する事ができたのでしょう。今では霊験を聞き付けて、地域外に住まう方まで祈願に訪れるようになっているそうです。

以上、松本敏幸©︎


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愛媛県北宇和郡鬼北町/節安地区(旧日吉村)の薬師堂にて撮影©︎




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# by kiyoyoshinoiori | 2016-02-21 20:10

平成28年2月21日、『鬼北町再生庁舎見学会』に行って参りました。日本の各地にモダン建築が残されている【レーモンド事務所】が設計したという旧広見町庁舎で、建築当時は見学のバスツアーまであったと聴きていますが、合併で鬼北町となった後、耐震建築ではないという理由から旧庁舎を取り壊して新庁舎を建てなければいけないのではないかという声も上がっていました。しかし、由緒ある歴史的建造物である事を知っていた鬼北町の方々は、住民に働き掛けて説明会を開き、耐震補強して庁舎を残そうという事が定まっていきました。そして、鬼北町庁舎は国の文化庁の【登録文化財】に登録され、今日は遂に再生庁舎として新しい命を与えられたのでした。年寄りから若者まで集まって、住民が力を合わせて文化財を守った素晴らしい例だと思います。随時見学もできると思いますので、皆さんも是非一度、生まれ変わった【鬼北町再生庁舎】に足を運んでみて下さい。


以上、松本敏幸©︎


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愛媛県北宇和郡鬼北町/再生庁舎会議場にて撮影©︎


おまけ

ブログ【郷土の祭り〜史跡めぐり vol.1】より『Kihoku 鬼北町庁舎の生みの親☆レーモンド』http://blog.livedoor.jp/mima_hinokai/archives/51617994.html


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# by kiyoyoshinoiori | 2016-02-21 09:05 | イベント

2月20日(土)の今夜は、三間公民館で『清良記』を紐解く会を行いました。内容は愈々、巻二十三「岡本合戦之事」に入っていきますが、前段階として【愛媛県編年史】に紹介されている『清良記』以外の文書(もんじょ)の内容を紹介しました。また、松浦郁郎先生が「新愛媛新聞」(昭和48年1月1日から昭和49年9月21日)に掲載されていたという、大変貴重な『清良記』のコラムを持って来て下さり拝見させていただきました。


以上、松本敏幸©︎


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愛媛県宇和島市三間町/三間公民館にて撮影©︎




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# by kiyoyoshinoiori | 2016-02-20 23:17 | 郷土史

清良記を紐解く会の資料と活動を公開します。\(^o^)/


by 清良の菴(きよよしのいおり)さん