タグ:三間町 ( 4 ) タグの人気記事


2016.5.13(金)土居清良公の本城である大森城の支城『天神城』を巡ってきました。



c0363691_15411599.jpeg
『松峯城』の南麓に位置する元宗地区には、立派な屋敷が多く建ち並んでいます。



c0363691_15461142.jpeg
『松峯城』と『天神城』の中間にあるのは黒住教の集会所。江戸時代には元宗村庄屋があった場所だったと言われています。



c0363691_15505004.jpeg
元宗バス停から『天神城』を望む。竹林の見える麓へ行ってみましょう。



c0363691_15523905.jpeg
そこには、元宗地区の旧村社『天満神社』がお祭されています。石積みが立派なのは、江戸時代に有力な酒屋赤松家があった為だと思われます。



c0363691_15572012.jpeg
夏の青葉紅葉は、なんとも清浄な気持ちを与えてくれます。



c0363691_16015172.jpeg

c0363691_16030594.jpeg
拝殿に飾られた絵馬も、大変貴重な物ばかりです。



c0363691_16034780.jpeg
神社の狛犬達が、元宗地区を見守ってくれているように思えました。



c0363691_16063034.jpeg
天満神社の下の抜け道は、まさに知る人ぞ知る抜け道です。



c0363691_16075924.jpeg
元の道に戻った所で、偶然にもJR四国予土線の『海洋堂ホビートレイン02』にお目見え致しました♫\(^o^)/



c0363691_16192760.jpeg
元宗地区の東端に建つ『赤松家屋敷』。この後手から『天神城』へ登る事ができます。



c0363691_16203701.jpeg
山に分け入る道を真っ直ぐ入っていくと赤松家墓所。左に九十九折に登って行くと、赤松家の氏神を祀る小社があり『天神城』へと続きます。



c0363691_16225546.jpeg
赤松家の氏神を祀る『朝日神社/若宮神社』。最近、鉄製の覆殿ができました。尚、今回は赤松家の許可をもらって入山しています。



c0363691_16261975.jpeg
ほぼ藪のような山道を分け入って、西へ西へ進んで行くと石積みの並ぶ場所に着きました。そこからは東西に平地が七段続き、一つ下がって、また一段広い平地がありました。



c0363691_16342908.jpeg
一つ目の段を、南から北に向かい撮影。



c0363691_16354310.jpeg
同じく一つ目の段を、西から東に向かい撮影。東西に長く伸びる『天神城』には、古い天満神社の社があったとも言われていますが、その場所は定かではありません。



c0363691_16452331.jpeg

c0363691_16460163.jpeg

c0363691_16464734.jpeg
二段目は斜めに伸びており、三段目から四段目に懸けてあるのが水道施設です。宇和島市三間町の水は、隣の西予市野村町から引いていますが、一旦この施設に集められてから町内に送られています。



c0363691_16582149.jpeg
五段目の平地から、六段目となる土塁を撮影。



c0363691_16595677.jpeg
六段目から、七段目の平地を撮影。崩れたような石積みも見受けられます。



c0363691_17014807.jpeg
七段目の平地は楕円形をした広い平地で、西端の少し高まった場所が詰めと思われました。



c0363691_17073145.jpeg
詰めの先は、なだらかな下りの尾根となっています。



c0363691_17103050.jpeg
尾根の中程に、水準点を発見。



c0363691_17115150.jpeg
また上がって広い平地の段がありましたが、上がり端の東端に水準点がありました。西の平地は東の七段目と同じくらい広い平地でしたが、一段だけとなっており、その先は切岸となって行く手を阻んでいるように見えました。



c0363691_17142929.jpeg
水準点があるという事は、ここが『天神城』の頂上になるのかと思われます。平成7年発行の『三間町誌』には、標高180メートルとあります。



c0363691_17204660.jpeg
その後、赤松家の墓所をお参りし帰路に着きましたが、2時間を超えて余りある登山となりました。帰る途中で、また予土線と遭遇。大好きな、キハ23型の3号軌道車でした♫(^_−)−☆



撮影地:愛媛県宇和島市三間町/元宗地区、天神城



撮影者:松本敏幸©︎






[PR]
by kiyoyoshinoiori | 2016-05-13 23:38 | 郷土史

2016.5.12(木)土居清良公の本城である大森城の支城『松峯城』に登ってきました。



c0363691_10381597.jpeg
大森城は西の麓、宮野下地区の板山地(いたやまち)から登るのが常ですが、この日は南東に連なる支城の麓に位置する元宗地区から『松峯城』に向かいました。



c0363691_10430989.jpeg
元宗地区の西端にある満徳寺池から望む大森城。標高315メートル。満徳寺は大森城のほぼ真南に位置します。



c0363691_10513881.jpeg
大森城から南東に張り出した支城『松峯城』は、標高260メートル。『清良記』巻二十三には遠見番を置く砦として描かれています。



c0363691_10583991.jpeg
南南西の方角には、『三間富士』と呼び親しまれる泉ヶ森(標高755メートル)、その中腹には土居中地区の新城(標高335メートル)が望めます。



c0363691_11083333.jpeg
元宗地区の『法雲山満徳寺』は、真宗大谷派の寺で、東本願寺を本寺としています。この場所は大森城と松峯城の中間にあり、大森城からは南南東、松峯城からは西に位置します。



c0363691_11175396.jpeg
境内の入口に馬頭観音を祀る小祠。この右手から『松峯城』へ登って行きます。すぐ上には、江戸時代の古いお墓が数段並んでいます。



c0363691_11264593.jpeg
すぐ上の平地までは堀切のような道が続いています。取り敢えず平地に辿り着くまで登って行きます。



c0363691_11293681.jpeg
平地に辿り着いたら少し休みましょう。この先は暫く尾根を歩くと、『松峯城』に向けて急峻な上り坂となります。



c0363691_11350510.jpeg
平地から少し下るように尾根が続く。



c0363691_11383870.jpeg
尾根の中程に水準点。



c0363691_11401699.jpeg
「胸突き八丁」と言うのでしょうか。岩肌が見えて来たら頂上が近い事が分かりますが、ここからがまた中々です。



c0363691_11441828.jpeg
頂上が見えてきましたが、大きな岩に貼り付くように木が繁っています。



c0363691_11473904.jpeg
『松峯城』の頂上は、大きな巨石であった事が分かりました。



c0363691_11534601.jpeg
17:30頃『松峯城』にて暫し黄昏る一時。現在は木の茂みがあり周囲をよく見渡せませんが、東南東の正面にある『岡本城』や、その背後に続く『一の森城』や『高森城』に睨みを利かすには、腕付けの砦であったろうと思われました。



c0363691_12052805.jpeg
急峻な岩山から下りるのは少し難儀。大杉を目当てに尾根に戻りましょう。



c0363691_12065418.jpeg
最初の平地。



c0363691_12073936.jpeg
満徳寺池を見下ろしたら一安心。昼下がりに登れば、太陽のある方角に下りて行けば良いので、迷う事はないと思います。



c0363691_12094287.jpeg
「おまけ」麓の畑で咲いていた珍しい木の花。




ご視聴ありがとうございました。次回は『天神城』へ登ります〜(o^^o)ノ"



愛媛県宇和島市三間町/元宗地区の松峯城にて撮影。撮影者:松本敏幸©︎





[PR]
by kiyoyoshinoiori | 2016-05-12 23:35 | 郷土史

実は、高森城に登った翌日、迫目にある【迫目城】に登っておりました。迫目城は、土佐の一條兼定が、三間攻めをした時に、陣を張った城として【清良記】に登場します。*\(^o^)/*


c0363691_13074231.jpeg


愛媛県宇和島市三間町の迫目地区にある【迫目城】は、『西城』『中城』『下城』からなる三連城。泉が森の北麓に位置し、さながら屏風のように見えます。


c0363691_13151453.jpeg


迫目城の中ほどに見える白壁の長屋は、迫目の旧庄屋岡本家。三間河野家の末裔とも言われ、屋根瓦には、【隅切折敷縮三文字】の家紋も見えます。この裏山の頂が『中の城』であろうと思っていましたが、アンテナの立つ頂が【天守】と呼ばれているとの情報を入手しました。


c0363691_13233298.jpeg


岡本家の裏山すぐ隣に立つアンテナ。その麓にお住いの赤松家ご主人から、「アンテナの立つ頂を天守(てんす)と呼んでいる」と教えていただきました。


c0363691_13291024.jpeg


そのまた隣、元町長をされていた赤松家の横から真っ直ぐに伸びる山道。ここから右が『下城』になります。『下城』は、【清良記】では『鼡(ねずみ)の尾』と呼ばれています。


c0363691_13333522.jpeg


山道は堀切のようにも見えます。尾根の手前ひ『中の城』に向かって登る道があり、その先に五輪塔を納めた祠と金毘羅社がお祭りされていました。


c0363691_13383985.jpeg


赤い建物が金毘羅社。赤松元町長の息子さんから教えていただき、お参りしてきました。


c0363691_13413596.jpeg


反対側に下ると、三間川が流れており、『蜂の巣橋』が架かっています。『蜂の巣』という地名は【清良記】にも登場しており、『鼡の尾』が『下城』である事を特定する決め手どなりました。


c0363691_13474441.jpeg


『蜂の巣』から臨む土居清良の本城【大森城】。護岸が整備されるようになるまでは、大雨が降ると、【大森城】と【迫目城】の間は広い沼のようになったと言われます。


c0363691_13505929.jpeg


場所は変わりまして、こちらの堀切は、『西城』と『中の城』の間にある山道です。『西城』は、【清良記】では『馬爪』と呼ばれていますが、丸い形の『西城』を馬の蹄に見立てての事なのだろうと思います。


c0363691_13525298.jpeg


『西城』の頂は真ん丸くなっており、豊後石で造られたという小さな祠が祭られています。祠は『十二社さま』とも『きゅうねんさん』とも言われ、【迫目城】に家のある麓組の人達は、4月8日にお祭りをしています。『十二社』は熊野系のお社。『きゅうねんさん』は、貴船社の事で、もとは川の近くの山水が湧く場所にあったそうです。


c0363691_14124725.jpeg


元々土居清良の廟は、江戸中期まで迫目地区の妙覚寺にあり、土居の先祖が熊野から来た事もあって、迫目地区には熊野権現や大刀自神社も祭られています。【清良記シンポジウム】で、3月19日の「高森城登山」の後には、有志を「岡本城」ど「迫目城」にも案内しますので、奮ってご参加ください。


追伸。お話をお伺いした、岡本様、赤松様、赤松様、二宮様、その節は誠にありがとうございました。


以上、松本敏幸©︎


愛媛県宇和島市三間町/迫目地区の迫目城址にて撮影©︎





[PR]
by kiyoyoshinoiori | 2016-02-28 23:02 | 古城

昔、三間には三間村塾という松下村塾をモデルにした私塾がありました。そこでは古事記、日本書紀、論語は勿論、聖書やコーランまで講義が行われ、武道も弓道、剣道、柔道、杖道の稽古が行われていたそうです。開塾したのは、竹葉秀雄氏。教育者であった竹葉氏は、愛媛県令の推薦で金鶏学院に入学し、安岡正篤の弟子となりますが、その縁で大横綱の双葉山と出会いがあり、竹葉氏を慕った双葉山が三間まで相撲の巡業に来ていたと云われます。私の祖父らが竹葉先生の塾に通った世代で、父は戦中に小学校で双葉山と相撲を取らせてもらった思い出があるそうです。戦後、GHQの命令で三間村塾は解散しますが、竹葉秀雄氏は、久松県政で教育委員長に抜擢され、後に三間町の名誉町民となります。この太鼓は現在、三間の三嶋神社にありますが、【雷(いかづち)】という名前が付けられており、双葉山が竹葉氏の三間村塾に贈ったという記念物です。
2月17日は『年乞いの祭』といわれる祈年祭(きねんさい)ですが、今日も大太鼓【雷(いかづち)】を叩かせていただきました。


以上、松本敏幸


c0363691_18373849.jpeg


宇和島市三間町/三嶋神社にて撮影©︎

[PR]
by kiyoyoshinoiori | 2016-02-17 18:33 | 神社のお祭り

清良記を紐解く会の資料と活動を公開します。\(^o^)/


by 清良の菴(きよよしのいおり)さん